今年も新しい年を迎え多くの人が正月モードから、
いつも通りのリズムに戻すのに大変かと思います。
正月気分も少しずつ薄れてくる頃に、
お正月の終わりを象徴するともいえる鏡開きという行事がありますが、
一体どのようなものなのでしょうか?
というわけで今回は、鏡開きの意味や由来などについて調べてみました!
鏡開きの意味とは?

鏡開きとは
鏡開きとは、正月飾りとして神様や仏様にお供えしていた鏡餅を食べやすい大きさに切り分けて、お雑煮やおしるこなどに入れて食べる風習のことを言います。

片付けるだけではなく食べることに意味があるとされています。
なぜなら、神様にお供えをした食べ物にはエネルギーが宿ると考えられており、
神様や仏様に感謝しながら鏡餅を食べることで病気をしないで何事もなく過ごせることを祈願しているためです!
また、鏡開きには鏡餅を使用した鏡開きと酒樽を使用した鏡開きの二種類がありますが、
どちらとも鏡開きの名称で正しいので、とくに使い分ける必要はありません。
鏡餅の鏡開きの意味
鏡餅の鏡開きは、一年間の一家の無病息災を祈願して行われるという意味があります。

また、剣道などの武道で、新年の道場開きの時に鏡開きとして、おしるこを用意して皆に振る舞う風習もあります。
酒樽の鏡開きの意味
酒樽の鏡開きは、お正月以外にも結婚式などのお祝い事やめでたい席で行われ、
鏡(樽)を開くことによって、これからの運が開けるという意味があります。

現在では年初めや祝勝会、結婚式などを盛大に盛り上げるために行われる行事の一つです。
また、清酒が入っている樽のフタを叩いて割って、
振る舞い酒として皆で飲む儀式のことから、「鏡割り」と呼ぶ事もあります。
しかし、「割る」という言葉は縁起が悪いということで「開く」に変化していき、
今では酒樽の鏡開きと呼ばれるのが一般的です。
鏡開きの由来とは?

鏡餅の鏡開きの由来
鏡餅の鏡開きの由来は、昔の武家ではお正月に男性は兜(かぶと)や鎧(よろい)に供えた具足餅を、女性は鏡台に供えた鏡餅を、1月11日に割ってお雑煮にして食べていたことです。
武家社会では、鏡餅に包丁などの刃物を使用することは切腹をイメージさせるため、
タブーとされていました。
そのため、木づちなどで鏡餅を割るようになりましたが、割るというのも縁起が悪いので、
運を開く意味や末広がりの意味にかけて「鏡開き」と呼ばれるようになりました。
酒樽の鏡開きの由来
酒樽の鏡開きの由来は定かではないようですが、
武士が戦いに出る時に仲間の兵士たちの気持ちを高めるために、
振る舞い酒として酒樽を割ったことが始まりだと言われています。
昔から、お米でつくられている日本酒は神聖なものと位置づけられており、
神様を祭る時にお供えをし、
お祈りをした後に参列者で日本酒を酌み交わして成就を願う風習がありました。
鏡開きはいつやるのか?

鏡開きの日にち
鏡開きの日にちは、
どの年であっても変わることはなく毎年1月11日に行うこととなっています。
しかし、地方によっては鏡開きの日にちが違うこともあるようですが、
通常では松の内の後である1月11日に行われるのが一般的です。
松の内とは、1月7日頃まで門松を飾っておく期間の事を指していますが、
昔は元日から1月15日とされていたため鏡開きは1月20日に行われていました!
関東と関西での鏡開きの違い
鏡開きが行われる日にちには、関東と関西での鏡開きの違いがあるようですが、
松の内が1月7日頃までの関東地方では1月11日、
松の内が1月15日である関西地方では1月15日、
さらに京都やその付近の一部地域では1月4日にといったように異なっています。
この違いには諸説あり、昔は「二十日正月」と言って元々は1月20日に鏡開きを行っていましたが、徳川三代将軍の徳川家光が1651年4月20日に亡くなったことから、

しかしながら、徳川幕府の力がさほど影響しなかった関西地方では、
元々の1月15日のまま鏡開きが行われているようです。
ちなみに、関東地方では1月11日に鏡開きが変更されたため、
松の内の期間も1月7日頃までと短縮されました。
鏡開きの意味や理由とは まとめ

鏡開きの意味や由来などについて、参考になりましたか?
鏡開きの日がいつなのか、カレンダーなどに記載がないものが多い気がするので、
案外知らない人も多いのではないでしょうか。
鏡開きの日にちや由来などを知ることで、
1月11日に鏡餅を食べるのが楽しくなりそうです。
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餅を自分好みに調理して美味しくいただいちゃいましょう!
最後まで読んで頂きありがとうございました!